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私のCAD草創期

 私がCADというもので建築図面を描きはじめたのは1986年。
今では手描きの建築図面は稀になりましたが、当時はCAD図面、つまりコンピューターで図面を描くことが稀な時代でした。

大手ゼネコンからみればピラミッドの底辺のほう、地方の小さな設計事務所がCADで図面を描いて確認申請をするなんて草分けというか、パソコンすらない時代でした。

ある日、勤めていた設計事務所に事務機器屋の営業の兄ちゃんが飛び込んできました。
コンピューターなど身近に見たことも、触ったこともなかったので、たいへん興味深く思ったものでした。
新し物好きな社長が、「使えそうか?」
自分、「?????」
何とも答えようもない代物でした。

数日後、アップルコンピューターの『Macintosh PLUS』が私のデスクに載ることに・・・

白黒ディスプレイ(8インチぐらいだったか?)一体型のかわいいやつです。

アプリケーションソフトは、後に建築デザイナーたちのツールとしてヒットしたソフト『Mini-CAD』が開発される以前の『Mac-Draw』というドローソフトでした。

いわゆる建築CADソフトといえるものではありません。
図面を描くというよりは、お絵かきをするイメージのソフトです。

設計図よりもプレゼンテーション用に、スケッチ程度の画を描くためのツールだったようです。

パソコンの事だど何もわからなかったけれども、パソコンなら何でもできるという幻想があったかのかもしれません。

それからは試行錯誤の連続。
建築設計図の描き方を教えてくれるインストラクターなんていせん。
建築設計図の作画見本のようなものもありませんでした。(プレゼン画のような作画例だけ。)

また、その当時XYプロッターは日本語未対応で高価でした。
A4のレーザープリンターも確か160万円する代物で、とても小規模事務所の手の出せるものではありませんでした。

図面出力はMacのA3のドットプリンター頼み。
そのMacプリンターは、一番細い線を印字しても0.5㎜ぐらいあろう程の線がいちばん細い線として印字されました。
斜め線はギザギザ。
それで詳細な設計図面を描こうとは…
無茶苦茶なチャレンジをしてました。

不動産の略平面図ぐらいならばすぐにでも書けそうでしたが、建築設計図は難しかった。
例えば、1/100スケールの平面図を描く場合
窓を描き表わすのに壁の厚みの線として1ミリ間隔の2本線を引き、
その間に引き違い窓ならば2本の線を互い違いに描き表わさなければなりません。

ところが線が太すぎて到底無理でした。
出画をドットプリンターに頼るのみだから…。
描画1/100設定だと、1ミリ間隔の間に2本の線が描けません。。。

四苦八苦の末あみだした裏技
描画は1/50スケールで行い、出力を縮小設定プリントして1/100にする方法。
同様に1/50の図面ならば1/25で
1/30ならば1/15でといった具合にetc.・・・
こうして、なんとか図面を描き表す目途がたちました…。

でも画面上に1本1本線を描いていたのでは手で描いたほうがよっぽと早い。
コンピューターで描けば早いなんて幻想でした。
CAD化のメリットを活かすために、平面図や立面、矩計断面詳細、鉄骨詳細図などの部品を一通り作り貯めることから始めました。

想定される頻出部品=パーツを一つ一つ描いては保存の繰り返しから初めて、ほぼ100%CAD化に成功したわけです。
図面出力も、A3プリンターでありながら工夫してほぼA2大の図面出力にも成功しました。
マニュアルもインストラクターもないのだから、試行錯誤の末に知恵を振り絞った結果でした…。

でも図面品質は?というと・・・
一番細い線が0.5㎜ぐらいありそうで、リボンインクが滲んだような不明瞭ような線なので綺麗とはいえません。
ギザギザも目立ちます。
しかし、レタリングの下手な私の手描きに比べたら、見映えのある図面になりました。


とんでもない話①
コンピューターの能力が劣っていた時代。
確かメインメモリーを1MBに増設したような記憶が(じゃぁ元々KBだったのか?)
詳細な設計図面を描かせていたので作画線本数も半端じゃない。
かなりの負荷をかけていたかかもしれません・・・
そして時々現れる“爆弾アイコン”(システムエラー)。
そこまで描いた図面が、瞬時にしてパーになるんです。
数時間分の仕事が消えてしまいました。
頻繁に図面データを保存するしか自衛手段がない。
“爆弾アイコン”に怯えながら仕事する日々でした。

とんでもない話②
当時のパーソナルコンピューターの記憶装置というばフロッピーDiskドライブが当たり前でした。
フロッピーDisk20枚ぐらいの記憶容量のハードディスクもあったが高価で小事務所が買えるものではありませんでした。
アプリケーションソフトは、フロッピーDiskドライブからの起動する時代でした。
作成したデータは、データ用のフロッピーDiskに保存しました。
NEC98など5インチフロッピーDiskドライブを搭載していたこの頃、
Macintoshは3.5インチフロッピーDiskドライブを装備してました。
Macは、OSといい先進的だった?
ただ、このアップルの純正3.5インチフロッピーDiskの値段がスゴイ!
今と比べると、メーカー儲け過ぎ!
10枚入り1箱、なんと17, 000円もしました!
その頃、近くにパソコンショップなんてない(知らない)ので、電話注文して事務機器屋に届けてもらうしかありませんでした。

とんでもない話③
四苦八苦、悪戦苦闘の末100%コンピューター化に成功した私のCAD草創期。
行く先々で100%近くCADで図面を描いていることを珍しがられました。
極めつけは、うちに売りつけた事務機器屋の兄チャン、
私の描いた図面を営業見本にともらいに来ました。

とんでもない話④
図面作成ツールとして活用していたアプリケーションソフトは『Mac-Draw』でしたが、
事務機器屋の技術担当がいろんなアプリケーションソフトをコピーしてくれました。
今では考えられないよねぇ・・・違法コピー・・・
3D化アプリケーションとか・・・etc.
『Mini-CAD』になる原型のようなものかな?
それは英語版ばかりだったので使用法を熟知できなく仕事に活用したわけではなかったけれども、、プルダウンメニューからなんとなく出来てしまうものだからお遊びにはもってこいのものばかりでした。

そんな先進的なMacのグラフィカルインターフェースのおかげで、NEC98のMS-DOSのようにパソコン言語を知らないと何も出来ないただの箱ではありませんでした。


乗り換え

2年ばかりMacを使いこなして(といっても、パソコンの知識はド素人)いると、社長と繋がりのある設計事務所に評判が知れ渡りました。
1988年、知り合いの事務所でNECの建築専用3次元CAD(自動でパースまで描けるやつ)を導入したが使える人間がいなくて困っているということから、一時出向(といってもこちらの事務所業務もあるので半日ぐらいづつという形で)して手伝うことになりました。

CAD経験があるといっても、コンピューター知識は皆無に等しく不安でした。
それでも基本的操作を覚え、創造的図面を描こうとすると、その時代の建築専用3次元CADは役立たずでした。
CADソフト制作段階で組み込まれる普通の建物図面ならばそこそこ描画するが、アトリエ設計事務所の奇抜な表現で平面や立面図を描き表わすのはとても面倒で無理とわかりました。

当時、HardとSoft一式400万円は下らなかった建築専用3次元CADシステム。
そこの設計部長あっさりと見切りをつけ、建築士仲間が使い始めていた『DRA-CAD』なら、NEC98のHard一式そのまま使えることから乗り換えました。
また一からの試行錯誤。
正式のリリースじゃぁなかったのか?マニュアルは暫定版でわからない。
Mac以来スケール設定をした上で作図していたものだから、DRA-CADのスケール概念を理解するのには七苦八苦しました。

そして私の勤める設計事務所では、新し物好きな社長が懲りもせず建築専用3次元CADシステムを導入した。
やはりHardとSoft一式400万円ほどの代物。
今度は社長がインストラクターの手ほどきを何度か受けていたが結局はお蔵入り・・・
あ~ぁ!もったいない!
そのぶん、我々の給料やボーナスに回してくれればいいのに~!

その後、お蔵入りしたHardだけでも生かそうと、
一時出向中に私の設計ツールと化した『DRA-CAD』を用いて、元事務所の設計ツールへと乗り換えを図りました。
Macのプリンター出力図面より、XYプロッターによる精細でメリハリの利いた図面のほうが見映えがすることからMacからあっさりと乗り換え。
Macを『Mini-CAD』化、プロッター出力化etc.も強力な選択肢だったけれども、お蔵入りの負の遺産(NEC98Hard一式)を活用することのほうが安上がりで現実的で確実でした。

そして、
今もって『DRA-CAD』(現在はWindows版)を使い続けております。

2000. . 
2007.01.18 Remake

     

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